子育て世紀末 〜我慢〜 Category: カタル…
Posted at 06/05/01 PermaLink» Comment(2)» Trackback(0)»
子供たちに教えたい事…いや、教えていかなくてはならないことがある。
そのひとつに、『我慢』がある。
きっと多くの人が、大変だとか、苦しいとか、辛いとか…
そんなイメージを持っているであろう、『我慢』だ。
だが、ワタシが子供に教えたいのは、もっと広い意味の『我慢』である。
『我慢』とはつまり、『生きる力』である。
今の日本は、格差はあるものの、過去のこの国と比べれば、
ずいぶん豊かな生活になった。
少なくとも、このブログを読んでくれている方の中に、
「一昨日から、何も食べていない…。」とか、
「洋服が買えなくて、冬でもTシャツ一枚だ…。」とか、
「ウチがないので、雨が降ると困る…。」とかいう人は、
居ないのではないだろうか。
これは、とても、幸せな事である。
だが、私たちは、普段、そう思って暮らしてはいない。
『コレが当たり前』だからだ。
多くの子供たちは、生まれたときから、不自由なく生きている。
寝具がないウチも、ほとんどないだろうし、母乳だって、
足りなければ、ミルクがある。
母親だって、オムツは、紙おむつが主流だし、離乳食だって売っている。
家事が回らなければ、食事なんて買ってくればいい。
経済的に許せば、掃除だって代行してくれる時代なのだ。
親達は、子供が生まれる前から、かわいい洋服を何枚も買い揃え、
生まれれば、オモチャ、身の回りのものを、少しずつ増やしていく。
こういうときにも、余裕があれば、よりいいものを与える事が出来る。
「このオモチャは、ココがいいのよ。」
「このシリーズで揃えてるのよ。」
「少し高めだけど、長い目で見れば、安いものだわ。」
こんな台詞を、聞いたこともあるだろう。
だが、本当に、それが幸せなのか。
実は、ワタシは3兄弟に、“少し不自由なくらい…”を心がけている。
ワタシの母がそうだったように。
まず、モノの与え方。
みんなが必ず買ってもらうようなものでも、ほとんどの子が
手に入れる頃に、やっと買う。
それから、ほとんどの場合、わざと、ノーブランドの商品を買う。
もちろん、家計が大変ということも、多少は影響している。
だがきっとワタシは、お金に余裕があっても、そうするだろう。
「ブランド」を買うのでも、「よりすぐれた商品」を買うのでもなく、
「必要なものを買う。」ということを、まず、教えたい。
そして、何かで代用できるものは、買わない。
そうそう、もちろん、ご褒美とかいう名目で、モノを買う事もないし、
買い物に行って、それぞれにおやつを買う事も滅多にない。
そして、たとえみんなが持っていても、不必要であると判断したら、
買わない。
ちなみに、コレになれた我が家では、「買わないよ。」に駄々をこねる
事はなく、「うん、わかってる。」か、「うん、いいよ。」という。
ただし、ココという時には、吟味してド〜ンと購入するのが、我が家流。
こうして、モノを与えられた時に、また、感謝の気持ちが強くなる。
そうやって、彼らは、『我慢』と『工夫』を、学んでいくのだ。
実は、今の子供たちは、“みんなで使う”とか“順番に使う”とか
いう事が、下手だそうである。
みんな子供の頃から、自分の持ち物を与えられているので、
我慢できないのだ。
人に貸すのが嫌だという子も、少なくない。
そして、もっと怖いのは、人の物まで欲しいと思う子供も、増えている
ということだ。
これが、犯罪にも繋がっていく可能性も、否定できない。
食生活は、どうだろう。
チョット買い物に行けば、あらゆる食材が手に入る。
もちろん素材も沢山あるが、加工食品や、調理済み食品も豊富である。
少しくらい、お母さんが居なくても、買ってきてチンすれば、簡単に
食事にありつける。
もっと言えば、外食だって、いくらでも出来るのだ。
ワタシは、食生活には、かなり、力を入れている方だと思う。
食生活は、健康の基本だと思っているからだ。
添加物にはうるさいし、食材には気を遣うし、時間の許す限りは
手作りを心がけている。
だが、時には忙しくて、十分に用意できない事もあるのだ。
実は、御飯にふりかけと目玉焼き…てな日もある。
子供たちは待てないので、栄養素だのなんだの言っていられないのだ。
それでも、3兄弟は喜んで食べている。
そして、たとえそんな食事でも、必ず言う。
「ごちそうさま。美味しかった。」とか。
「お母さん、ありがとう。」とか。
「僕たち、いつもコレでいいよ。」とか。
もちろん、具合の悪い時を除いては、残さず食べるのが、我が家流。
子供たちは、ここでも『我慢』と『感謝』を学ぶ。
子供が、誰かにいじめられて帰ってきた場合。
ウチでは、大人が、直接出ていく事は、ほとんどない。
私たちは、どうしたらよかったのか、次はどうすればよいのかを教え、
そうしてしまった相手の心情も、推察させるよう、話をする。
こうして、世の中の多くの人は、自分の思うようにはならないことを、
教えている。
子供たちはこのことで、『我慢』と『人の心』そして『思いやり』を学ぶ。
こうして3兄弟は、日々の生活の中で、あらゆる『我慢』を覚えていく。
だが、もはやそれは、彼らにとって我慢ではない。
彼らは、少しくらい不自由なことが、当たり前だと思っているのだ。
実は、この子育てには、2つの狙いも…ある。
ひとつは、創意工夫をするようになるということ。
子供達には、実は、驚くほどの感性と知恵がある。
優れた知育玩具を与えなくても、こどもは伸びていくのだ。
そして、時には、大人たちが考えつかないような事にたどり着いたり、
素晴らしい出来栄えの作品を見せてくれたり、難しい理論の元に
言われるような事例を、無意識にやってのけたりするのだ。
そして、もうひとつの狙いは、生きる力をつけるということ。
世の中には、たくさんの便利なものがある。
だが、で出来る人が、能率向上のために便利なものを使うのと、
出来ない人が最初から便利なものを使って生活するのでは、
全く違ってくる。
後者の場合、それが手に入らなかった場合、とても困った事にもなる。
以前、いつも料理上手な女性と、料理を作った時の事である。
たまたま、その場にピーラー(皮むき器)がなかった。
彼女は、たくさんの野菜の皮を向くのに、とても苦労していた。
(カッコ悪い…)強妻頑母は、手厳しいのだ。
ちなみに、我が家では、最初からモノに頼る事は許されない。
子供には、出来るだけ便利グッズは使わせない。
そして、ダディやワタシがそうであるように、どうすれば上手くいくか、
何かかで代用出来ないか、作れないか…そんなことを考えさせる。
コレが、生きていく力だと、思っているからだ。
こうして、広い意味での『我慢』…つまり『生きる力』を身につけると、
何がいいのだろうか。
実は、生きる力がついてくると、自分に自信がつく。
人と比べたり、横並びでなければ不安になったり…という事が減るのだ。
そして、このことは、嫉妬や恨み、喧嘩などを少なくする事が出来る。
我慢が出来ると言うことは、実は自分がとても楽な気持ちでいられるのだ。
ワタシの持つ『我慢』のイメージは、「苦しい、辛い…」ではない。
『我慢』とは、生きていくうえで大切な、
素晴らしいものである。
『我慢』の大切さを知らずに起こる犯罪も多い。
モノの溢れた今だからこそ、あえて意識して『我慢』を
教えていくべきなのではないだろうか。
我慢が出来ますか?我慢を教えられますか?→
そのひとつに、『我慢』がある。
きっと多くの人が、大変だとか、苦しいとか、辛いとか…
そんなイメージを持っているであろう、『我慢』だ。
だが、ワタシが子供に教えたいのは、もっと広い意味の『我慢』である。
『我慢』とはつまり、『生きる力』である。
今の日本は、格差はあるものの、過去のこの国と比べれば、
ずいぶん豊かな生活になった。
少なくとも、このブログを読んでくれている方の中に、
「一昨日から、何も食べていない…。」とか、
「洋服が買えなくて、冬でもTシャツ一枚だ…。」とか、
「ウチがないので、雨が降ると困る…。」とかいう人は、
居ないのではないだろうか。
これは、とても、幸せな事である。
だが、私たちは、普段、そう思って暮らしてはいない。
『コレが当たり前』だからだ。
多くの子供たちは、生まれたときから、不自由なく生きている。
寝具がないウチも、ほとんどないだろうし、母乳だって、
足りなければ、ミルクがある。
母親だって、オムツは、紙おむつが主流だし、離乳食だって売っている。
家事が回らなければ、食事なんて買ってくればいい。
経済的に許せば、掃除だって代行してくれる時代なのだ。
親達は、子供が生まれる前から、かわいい洋服を何枚も買い揃え、
生まれれば、オモチャ、身の回りのものを、少しずつ増やしていく。
こういうときにも、余裕があれば、よりいいものを与える事が出来る。
「このオモチャは、ココがいいのよ。」
「このシリーズで揃えてるのよ。」
「少し高めだけど、長い目で見れば、安いものだわ。」
こんな台詞を、聞いたこともあるだろう。
だが、本当に、それが幸せなのか。
実は、ワタシは3兄弟に、“少し不自由なくらい…”を心がけている。
ワタシの母がそうだったように。
まず、モノの与え方。
みんなが必ず買ってもらうようなものでも、ほとんどの子が
手に入れる頃に、やっと買う。
それから、ほとんどの場合、わざと、ノーブランドの商品を買う。
もちろん、家計が大変ということも、多少は影響している。
だがきっとワタシは、お金に余裕があっても、そうするだろう。
「ブランド」を買うのでも、「よりすぐれた商品」を買うのでもなく、
「必要なものを買う。」ということを、まず、教えたい。
そして、何かで代用できるものは、買わない。
そうそう、もちろん、ご褒美とかいう名目で、モノを買う事もないし、
買い物に行って、それぞれにおやつを買う事も滅多にない。
そして、たとえみんなが持っていても、不必要であると判断したら、
買わない。
ちなみに、コレになれた我が家では、「買わないよ。」に駄々をこねる
事はなく、「うん、わかってる。」か、「うん、いいよ。」という。
ただし、ココという時には、吟味してド〜ンと購入するのが、我が家流。
こうして、モノを与えられた時に、また、感謝の気持ちが強くなる。
そうやって、彼らは、『我慢』と『工夫』を、学んでいくのだ。
実は、今の子供たちは、“みんなで使う”とか“順番に使う”とか
いう事が、下手だそうである。
みんな子供の頃から、自分の持ち物を与えられているので、
我慢できないのだ。
人に貸すのが嫌だという子も、少なくない。
そして、もっと怖いのは、人の物まで欲しいと思う子供も、増えている
ということだ。
これが、犯罪にも繋がっていく可能性も、否定できない。
食生活は、どうだろう。
チョット買い物に行けば、あらゆる食材が手に入る。
もちろん素材も沢山あるが、加工食品や、調理済み食品も豊富である。
少しくらい、お母さんが居なくても、買ってきてチンすれば、簡単に
食事にありつける。
もっと言えば、外食だって、いくらでも出来るのだ。
ワタシは、食生活には、かなり、力を入れている方だと思う。
食生活は、健康の基本だと思っているからだ。
添加物にはうるさいし、食材には気を遣うし、時間の許す限りは
手作りを心がけている。
だが、時には忙しくて、十分に用意できない事もあるのだ。
実は、御飯にふりかけと目玉焼き…てな日もある。
子供たちは待てないので、栄養素だのなんだの言っていられないのだ。
それでも、3兄弟は喜んで食べている。
そして、たとえそんな食事でも、必ず言う。
「ごちそうさま。美味しかった。」とか。
「お母さん、ありがとう。」とか。
「僕たち、いつもコレでいいよ。」とか。
もちろん、具合の悪い時を除いては、残さず食べるのが、我が家流。
子供たちは、ここでも『我慢』と『感謝』を学ぶ。
子供が、誰かにいじめられて帰ってきた場合。
ウチでは、大人が、直接出ていく事は、ほとんどない。
私たちは、どうしたらよかったのか、次はどうすればよいのかを教え、
そうしてしまった相手の心情も、推察させるよう、話をする。
こうして、世の中の多くの人は、自分の思うようにはならないことを、
教えている。
子供たちはこのことで、『我慢』と『人の心』そして『思いやり』を学ぶ。
こうして3兄弟は、日々の生活の中で、あらゆる『我慢』を覚えていく。
だが、もはやそれは、彼らにとって我慢ではない。
彼らは、少しくらい不自由なことが、当たり前だと思っているのだ。
実は、この子育てには、2つの狙いも…ある。
ひとつは、創意工夫をするようになるということ。
子供達には、実は、驚くほどの感性と知恵がある。
優れた知育玩具を与えなくても、こどもは伸びていくのだ。
そして、時には、大人たちが考えつかないような事にたどり着いたり、
素晴らしい出来栄えの作品を見せてくれたり、難しい理論の元に
言われるような事例を、無意識にやってのけたりするのだ。
そして、もうひとつの狙いは、生きる力をつけるということ。
世の中には、たくさんの便利なものがある。
だが、で出来る人が、能率向上のために便利なものを使うのと、
出来ない人が最初から便利なものを使って生活するのでは、
全く違ってくる。
後者の場合、それが手に入らなかった場合、とても困った事にもなる。
以前、いつも料理上手な女性と、料理を作った時の事である。
たまたま、その場にピーラー(皮むき器)がなかった。
彼女は、たくさんの野菜の皮を向くのに、とても苦労していた。
(カッコ悪い…)強妻頑母は、手厳しいのだ。
ちなみに、我が家では、最初からモノに頼る事は許されない。
子供には、出来るだけ便利グッズは使わせない。
そして、ダディやワタシがそうであるように、どうすれば上手くいくか、
何かかで代用出来ないか、作れないか…そんなことを考えさせる。
コレが、生きていく力だと、思っているからだ。
こうして、広い意味での『我慢』…つまり『生きる力』を身につけると、
何がいいのだろうか。
実は、生きる力がついてくると、自分に自信がつく。
人と比べたり、横並びでなければ不安になったり…という事が減るのだ。
そして、このことは、嫉妬や恨み、喧嘩などを少なくする事が出来る。
我慢が出来ると言うことは、実は自分がとても楽な気持ちでいられるのだ。
ワタシの持つ『我慢』のイメージは、「苦しい、辛い…」ではない。
『我慢』とは、生きていくうえで大切な、
素晴らしいものである。
『我慢』の大切さを知らずに起こる犯罪も多い。
モノの溢れた今だからこそ、あえて意識して『我慢』を
教えていくべきなのではないだろうか。
我慢が出来ますか?我慢を教えられますか?→

"子育て世紀末 〜我慢〜"へのトラックバック
トラックバック先URL
新着トラックバック
月別アーカイブ
- 2008年05月 (6)
- 2008年04月 (9)
- 2008年03月 (12)
- 2008年02月 (11)
- 2008年01月 (11)
- 2007年12月 (4)
- 2007年11月 (8)
- 2007年10月 (11)
- 2007年09月 (13)
- 2007年08月 (12)
- 2007年07月 (13)
- 2007年06月 (17)
- 2007年05月 (14)
- 2007年04月 (14)
- 2007年03月 (22)
- 2007年02月 (21)
- 2007年01月 (21)
- 2006年12月 (14)
- 2006年11月 (13)
- 2006年10月 (13)
- 2006年09月 (18)
- 2006年08月 (29)
- 2006年07月 (17)
- 2006年06月 (21)
- 2006年05月 (23)
- 2006年04月 (24)
- 2006年03月 (25)
- 2006年02月 (23)
- 2006年01月 (27)
- 2005年12月 (21)
- 2005年11月 (24)
- 2005年10月 (20)
- 2005年09月 (17)
フィード
Powered by Movable Type
Template by MTテンプレートDB
Supported by Movable Type入門
"子育て世紀末 〜我慢〜"へのコメント
CommentData » Posted by 寿司屋のおかみさん小話 at 06/05/02
TITLE: 我慢
我慢が出来るかと聞かれたら、
自信のないときもあるのが正直なところです。物があふれている日本。食べ物もなにもかもあふれていて、誘惑に勝てるかをためされているような気もしてきます。最近、ブログのおかげでお客さんも増えたので、大将が何か買ってくれるという話をしてくれました。そして、たまたま、コーチのお店の前をとおりかかり見てみましたが、『必要ないなあ・・』と出てきてしまいました。その気持ちだけは感謝しています、^^物はあの世に持っていけないものね。
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 06/05/02
TITLE:
☆寿司屋のおかみさん
おはようございます。早速、ありがとうございます。
ワタシだって、お金に全く困らない生活だったら、欲しいもの、買うと思いますよ♪
でも、そうでない時を、どう過ごすか…ということだと思うんです。
子供達には、手に入れられない時の想いを、学んでほしいと思います。
経験がないことは、なかなか出来ないですものね。
そうすることで、本当に欲しいものがでてきた時に、本気で頑張れるとも、思うのです。