子供を亡くした親の想い Category: カタル…
Posted at 06/05/10 PermaLink» Comment(4)» Trackback(0)»
もう、この事について書くのは、やめよう…と思っていました。
いや、次に書き進めていたのも、例のシリーズの続編だったんで、
重い記事だったんですけどね。
でも…もう少し、このかなり重いテーマで、書きたいと思います。
(気がすすまない方は、スルーしてくださいね。)
コレまで、ワタシの心の中にしまっていた想いや疑問は、経験者がゆえの
それであって、屈折していたり間違たりしているかもしれない、
他の人の常識には、当てはまらなくて、当然かも知れない、そして、
必要以上に、自分の経験や感情を語り、人を混乱させることもないと思って、
口に出さなかった事がある。
だけど、今回、同じ状況に立ち会うことになり、やはりどうしても、
心に中を支配してしまう、その想いと疑問…。
「悲しい出来事、悲しい想い」と「四葉のクローバー」の記事に、
皆さんから頂いた、温かいコメントを読んでいるうちに、何だか、
勝手に、書かなくちゃいけないような、そんな気持ちになった。
コレまで、誰も語ろうとしなかったかもしれない、想いと疑問を。
経験した、極少ないものだからこそ、書けるのかも知れない…と。
子供が亡くなった時…。
当然、両親は、初めてのことであるから、頭では解っていても、そして
恐ろしいくらいの悲しみが襲ってきても、すぐに、その状況の全てを、
理解するのは難しい。
我が子の中から、魂が抜け、目を閉じ、話さなくなり、動かなくなり…、
次第に温かさを失っていっても、その時はまだ、そのひとつひとつの事実を
納得して行く事だけで、精一杯である。
その次に、大きな悲しみと恐怖が襲ってくる。
だが、その当人である両親には、すぐにしなければならないことがある。
通夜と葬儀。
この2つのことを執り行わなければならないことで、俄かに状況が変わる。
悲しみに浸ってばかりは、居られない。
この状況の中で、いろいろな判断や、対応をしなければならなくなる。
全く別のあるとき、B型の知人が言った言葉がある。
「葬式なんて、本人を救うためにあるって言うよね、しっかりしろ…
ってなカンジ。」
本人がどう思って言ったかは別として、実はこの言葉、とても奥が深い。
通夜や葬儀の準備は、身内や葬儀屋の人もしてくれるのだけど、
たとえば、どの棺と祭壇にするか…形や値段などを決める…とか、
遺影の写真はどれにするか…コレまでの写真の中から選ぶ…とか、
アレはどうしますか、コレはどうしますか…と、イロイロな事があって
現実に引き戻される事になる。
実際には、子供がなくなった事も、もちろん現実なのだけど…。
そのうちに、どんどん人が集まってくる。
親戚、友人、学校や幼稚園の関係者、両親の職場などの人、近所の人達…。
訃報を聞いた、あらゆる人が、訪れる。
私自身の経験から言うと、子供が亡くなるという事は、滅多にないからか、
大人が亡くなったときよりも、沢山の人が…つまり、親しい人だけではなく、
少し知っているという程度の人まで、来られる気がする。
もちろん、「知りたい、行ってみたい。」と言う、ヤジウマ的な人は、
もし、居たとしても極僅かで、ほとんどの人は、
「子供が亡くなったんだって。」
「え? とりあえず、行ってみましょう。」
と言う状況であろう。
ちなみに、大人の場合だと。
「○○さんが、亡くなったんだって。」
「え? どうして亡くなったの? それで、どうする。」
と言うカンジ…だろうか。
こうして、両親はさらに、、多くの人が集まるということにも、対応
しなければならなくなる。
この時の両親、特に母親の状態は、大きく2つに分かれてくる。
「あまりの悲しみに、誰にも会えない、立っても居られない」パターンと
「気を張り詰めて、気丈に対応しようと、自分を律する。」パターンだ。
前者の場合、寝込んでしまったり、葬儀にも出られなくなったりする
こともあるし、後者の場合でも、見ていられない程である場合も多い。
ただし、ここで確実に言えるのは、どちらであれ、当事者の悲しみは、
第3者の想像を、はるかに超たモノであることに、間違いはない。
コレは、子供だけでなく、身内を亡くされた場合は、同じであろう。
とにかく、この時点で両親は、自分達がどういう状況であれ、
多くの人が悼んで来て下さる事に、礼を尽くさなければならないのだ。
その状況はもちろん、本人にしか分らないのだが、その一方で、
解ろうとする人も、少ないであろう。
通夜や葬儀とは、そういう状況の中で進んでいくのだ。
とはいえ、もともと、通夜や葬儀というモノは、そういうものである。
「煩わしい」事もあるが、とりあえず必要なこと…として、行う人が多い。
本当に、身内だけでお別れをしたいのなら、そういう状況を選択する事も、
出来るのだから。
さて、ここで…。
こんな言葉を、耳にされたことはないだろうか。
「立派な(盛大な)告別式だったわ。」
「沢山の人が来られてたわ。」
そして、こんな風に思われた事はないだろうか。
「とりあえず、出席しておこう。」
「付き合いはあまりないけれど、行かないのも、薄情ではないかしら。」
「行ってあげた方が、○○さん(故人または、喪主)が、喜ぶわ。」
「あなたが行くなら、行っておこうかしら。」
もちろん、なくなった方が大人であるか子供であるか、
また、その人の地位や立場、性別、年齢、そして、それぞれの考え方により、
感じ方や考え方は違うであろう。
いや、違って当然なのだ。
ただ、葬儀に来てくれる人の全てが、純粋に死を悼んで来てくれる方
ばかりとは限らない…と言うことだ。
もちろん、今回の場合もそうであったし、ワタシの時もそうだった。
むしろ、どうあるべきかを考えている人の方が、少ないかも知れないのだ。
ここで、考えて欲しい。
子供がなくなったと聞いて、ほとんどの人がこう思うだろう。
「それは、子供と一緒に、出席してこなくては。」
それは、なぜ?
みんなが行くから?…行くように決まったから?…それとも、何となく?
実際、テレビで報道される子供の葬儀では、同級生や友人が、死を悼んで
泣いている姿が、映し出されることが多い。
この映像は、多くの人の同情と涙をさそう。
だが、ご両親の本当の想いが、どうであるかの報道は、ほとんどない。
もちろん、こんなにみんなが悲しんでくれて…という、感謝の思いはある。
しかし、その心の奥底にある…もしかして、自分でも気づいていない気持ち。
そんなことを、考えた事があるだろうか。
出来れば…想像してみて欲しい。
我が子が突然、いなくなる。
悲しみに浸る間もなく、通夜、葬儀の準備が始まる。
悲しみの中、必死で自分を奮い立たせて、気力だけで事を運んでいく。
人々が集まる。
言い交わす言葉のほとんどは、決まりきった言葉ばかりである。
親子連れが、来てくれる。
生前に、我が子と繋がりのあった子供たちと、そのお母さんばかりである。
(あ、彼女は、ウチの子と、○○をしてた彼女。)
(あ、彼は、幼馴染の彼。)
(あ、彼女はいちばん仲の良かった彼女)
(あ、彼は、少し意地悪したことのある彼。)
みんなが、泣いてくれている。
みんなが、祈ってくれている。
そこに来てくれている子供達は、心から自分の子供の死を悼んでくれている。
でも、それは、その子達が、生きているから…。
熱い涙は、生きている証…。
そして、そこに居るお父さんお母さん方も、その、子供を持つ親。
昨日までの、自分と全く同じ立場の人。
アナタだったら…そこで、どう思うだろうか。
さらに、その人たちに、こういう言葉をかけられると、どうだろう。
「同級生だと思うと、悲しくて…。」
「昨日まで、一緒に遊んでたのに…。」
「ウチの子も、ずっと泣いてて。」
「力を落とさないでね。また、伺うわ。」
そして、ここで辛いのは、喪主である両親は、自分の想いや意見を言う
機会も得られず、また、もちろん、そういう気力もないので、
言われる事を、ただ、聞いているしか、すべがない。
アナタは、どういう気持ちになりますか?
感謝の気持ちでいっぱいになりますか?
それとも…?
もちろん、ここまで書いてきたことの全ては、たとえ、経験したことが
あるとしても、全く、ワタシひとりの勝手な考えである。
だが、勝手ついでに書いてしまおう。
こういう時…。
「アナタの子供は生きている…ワタシの子供は。」
「アナタの子供はどんどん成長する…ワタシの子供は。」
「アナタはこれからも、子育てを続けて行ける…でも、ワタシは。」
「アナタの今の悲しみは、いつか消えていく…でも、ワタシの悲しみは。」
「アナタはこれからも…でも、でも、ワタシは…。」
こう思う人も、居るとは思いませんか?
そして、その当事者が、たとえ、
「もう、帰って…みんな帰って欲しい。」
「神様…ワタシのあの子を返して。」
「どうしてワタシだけが、こんな目に…。」
と、そんなことを思ったとしても、誰が、彼らを責められるだろう。
そして、忘れてはならないことがある。
第3者の悲しみは、告別式の時点で最大であることが、多いだろう。
だが、その両親の悲しみと苦しみは、まさに、そこから始まるのだ。
そして、長い長い時を過ごして、少しずつ癒されては来るが、
決して、消えることはない。
皆さんが、ここへ書いた事を考える機会は、ほとんど無いとは、思う。
いや、もちろん、あって欲しくない。
でも、もし、アナタが子供の葬儀に、出席しなければならなくなったら…。
その時は、相手のお母さんの性格や状況、イロイロなことを考えて見て欲しい。
その時に、強妻頑母が、なんか吠えてたな〜と、少しでも、思い出して
いただけたら…と思い、この記事を残そうと思う。
〜続く〜
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いや、次に書き進めていたのも、例のシリーズの続編だったんで、
重い記事だったんですけどね。
でも…もう少し、このかなり重いテーマで、書きたいと思います。
(気がすすまない方は、スルーしてくださいね。)
コレまで、ワタシの心の中にしまっていた想いや疑問は、経験者がゆえの
それであって、屈折していたり間違たりしているかもしれない、
他の人の常識には、当てはまらなくて、当然かも知れない、そして、
必要以上に、自分の経験や感情を語り、人を混乱させることもないと思って、
口に出さなかった事がある。
だけど、今回、同じ状況に立ち会うことになり、やはりどうしても、
心に中を支配してしまう、その想いと疑問…。
「悲しい出来事、悲しい想い」と「四葉のクローバー」の記事に、
皆さんから頂いた、温かいコメントを読んでいるうちに、何だか、
勝手に、書かなくちゃいけないような、そんな気持ちになった。
コレまで、誰も語ろうとしなかったかもしれない、想いと疑問を。
経験した、極少ないものだからこそ、書けるのかも知れない…と。
子供が亡くなった時…。
当然、両親は、初めてのことであるから、頭では解っていても、そして
恐ろしいくらいの悲しみが襲ってきても、すぐに、その状況の全てを、
理解するのは難しい。
我が子の中から、魂が抜け、目を閉じ、話さなくなり、動かなくなり…、
次第に温かさを失っていっても、その時はまだ、そのひとつひとつの事実を
納得して行く事だけで、精一杯である。
その次に、大きな悲しみと恐怖が襲ってくる。
だが、その当人である両親には、すぐにしなければならないことがある。
通夜と葬儀。
この2つのことを執り行わなければならないことで、俄かに状況が変わる。
悲しみに浸ってばかりは、居られない。
この状況の中で、いろいろな判断や、対応をしなければならなくなる。
全く別のあるとき、B型の知人が言った言葉がある。
「葬式なんて、本人を救うためにあるって言うよね、しっかりしろ…
ってなカンジ。」
本人がどう思って言ったかは別として、実はこの言葉、とても奥が深い。
通夜や葬儀の準備は、身内や葬儀屋の人もしてくれるのだけど、
たとえば、どの棺と祭壇にするか…形や値段などを決める…とか、
遺影の写真はどれにするか…コレまでの写真の中から選ぶ…とか、
アレはどうしますか、コレはどうしますか…と、イロイロな事があって
現実に引き戻される事になる。
実際には、子供がなくなった事も、もちろん現実なのだけど…。
そのうちに、どんどん人が集まってくる。
親戚、友人、学校や幼稚園の関係者、両親の職場などの人、近所の人達…。
訃報を聞いた、あらゆる人が、訪れる。
私自身の経験から言うと、子供が亡くなるという事は、滅多にないからか、
大人が亡くなったときよりも、沢山の人が…つまり、親しい人だけではなく、
少し知っているという程度の人まで、来られる気がする。
もちろん、「知りたい、行ってみたい。」と言う、ヤジウマ的な人は、
もし、居たとしても極僅かで、ほとんどの人は、
「子供が亡くなったんだって。」
「え? とりあえず、行ってみましょう。」
と言う状況であろう。
ちなみに、大人の場合だと。
「○○さんが、亡くなったんだって。」
「え? どうして亡くなったの? それで、どうする。」
と言うカンジ…だろうか。
こうして、両親はさらに、、多くの人が集まるということにも、対応
しなければならなくなる。
この時の両親、特に母親の状態は、大きく2つに分かれてくる。
「あまりの悲しみに、誰にも会えない、立っても居られない」パターンと
「気を張り詰めて、気丈に対応しようと、自分を律する。」パターンだ。
前者の場合、寝込んでしまったり、葬儀にも出られなくなったりする
こともあるし、後者の場合でも、見ていられない程である場合も多い。
ただし、ここで確実に言えるのは、どちらであれ、当事者の悲しみは、
第3者の想像を、はるかに超たモノであることに、間違いはない。
コレは、子供だけでなく、身内を亡くされた場合は、同じであろう。
とにかく、この時点で両親は、自分達がどういう状況であれ、
多くの人が悼んで来て下さる事に、礼を尽くさなければならないのだ。
その状況はもちろん、本人にしか分らないのだが、その一方で、
解ろうとする人も、少ないであろう。
通夜や葬儀とは、そういう状況の中で進んでいくのだ。
とはいえ、もともと、通夜や葬儀というモノは、そういうものである。
「煩わしい」事もあるが、とりあえず必要なこと…として、行う人が多い。
本当に、身内だけでお別れをしたいのなら、そういう状況を選択する事も、
出来るのだから。
さて、ここで…。
こんな言葉を、耳にされたことはないだろうか。
「立派な(盛大な)告別式だったわ。」
「沢山の人が来られてたわ。」
そして、こんな風に思われた事はないだろうか。
「とりあえず、出席しておこう。」
「付き合いはあまりないけれど、行かないのも、薄情ではないかしら。」
「行ってあげた方が、○○さん(故人または、喪主)が、喜ぶわ。」
「あなたが行くなら、行っておこうかしら。」
もちろん、なくなった方が大人であるか子供であるか、
また、その人の地位や立場、性別、年齢、そして、それぞれの考え方により、
感じ方や考え方は違うであろう。
いや、違って当然なのだ。
ただ、葬儀に来てくれる人の全てが、純粋に死を悼んで来てくれる方
ばかりとは限らない…と言うことだ。
もちろん、今回の場合もそうであったし、ワタシの時もそうだった。
むしろ、どうあるべきかを考えている人の方が、少ないかも知れないのだ。
ここで、考えて欲しい。
子供がなくなったと聞いて、ほとんどの人がこう思うだろう。
「それは、子供と一緒に、出席してこなくては。」
それは、なぜ?
みんなが行くから?…行くように決まったから?…それとも、何となく?
実際、テレビで報道される子供の葬儀では、同級生や友人が、死を悼んで
泣いている姿が、映し出されることが多い。
この映像は、多くの人の同情と涙をさそう。
だが、ご両親の本当の想いが、どうであるかの報道は、ほとんどない。
もちろん、こんなにみんなが悲しんでくれて…という、感謝の思いはある。
しかし、その心の奥底にある…もしかして、自分でも気づいていない気持ち。
そんなことを、考えた事があるだろうか。
出来れば…想像してみて欲しい。
我が子が突然、いなくなる。
悲しみに浸る間もなく、通夜、葬儀の準備が始まる。
悲しみの中、必死で自分を奮い立たせて、気力だけで事を運んでいく。
人々が集まる。
言い交わす言葉のほとんどは、決まりきった言葉ばかりである。
親子連れが、来てくれる。
生前に、我が子と繋がりのあった子供たちと、そのお母さんばかりである。
(あ、彼女は、ウチの子と、○○をしてた彼女。)
(あ、彼は、幼馴染の彼。)
(あ、彼女はいちばん仲の良かった彼女)
(あ、彼は、少し意地悪したことのある彼。)
みんなが、泣いてくれている。
みんなが、祈ってくれている。
そこに来てくれている子供達は、心から自分の子供の死を悼んでくれている。
でも、それは、その子達が、生きているから…。
熱い涙は、生きている証…。
そして、そこに居るお父さんお母さん方も、その、子供を持つ親。
昨日までの、自分と全く同じ立場の人。
アナタだったら…そこで、どう思うだろうか。
さらに、その人たちに、こういう言葉をかけられると、どうだろう。
「同級生だと思うと、悲しくて…。」
「昨日まで、一緒に遊んでたのに…。」
「ウチの子も、ずっと泣いてて。」
「力を落とさないでね。また、伺うわ。」
そして、ここで辛いのは、喪主である両親は、自分の想いや意見を言う
機会も得られず、また、もちろん、そういう気力もないので、
言われる事を、ただ、聞いているしか、すべがない。
アナタは、どういう気持ちになりますか?
感謝の気持ちでいっぱいになりますか?
それとも…?
もちろん、ここまで書いてきたことの全ては、たとえ、経験したことが
あるとしても、全く、ワタシひとりの勝手な考えである。
だが、勝手ついでに書いてしまおう。
こういう時…。
「アナタの子供は生きている…ワタシの子供は。」
「アナタの子供はどんどん成長する…ワタシの子供は。」
「アナタはこれからも、子育てを続けて行ける…でも、ワタシは。」
「アナタの今の悲しみは、いつか消えていく…でも、ワタシの悲しみは。」
「アナタはこれからも…でも、でも、ワタシは…。」
こう思う人も、居るとは思いませんか?
そして、その当事者が、たとえ、
「もう、帰って…みんな帰って欲しい。」
「神様…ワタシのあの子を返して。」
「どうしてワタシだけが、こんな目に…。」
と、そんなことを思ったとしても、誰が、彼らを責められるだろう。
そして、忘れてはならないことがある。
第3者の悲しみは、告別式の時点で最大であることが、多いだろう。
だが、その両親の悲しみと苦しみは、まさに、そこから始まるのだ。
そして、長い長い時を過ごして、少しずつ癒されては来るが、
決して、消えることはない。
皆さんが、ここへ書いた事を考える機会は、ほとんど無いとは、思う。
いや、もちろん、あって欲しくない。
でも、もし、アナタが子供の葬儀に、出席しなければならなくなったら…。
その時は、相手のお母さんの性格や状況、イロイロなことを考えて見て欲しい。
その時に、強妻頑母が、なんか吠えてたな〜と、少しでも、思い出して
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"子供を亡くした親の想い"へのコメント
CommentData » Posted by nonobu at 06/05/11
TITLE:
リナチャンが亡くなって、マムさんまで辛い記憶を掘り起こさなければいけなくなりましたね。
マムさん、大丈夫ですか?
マムさんまで心を壊されませんように。。。
リナチャンが亡くなったという記事を読んでから「もし自分の子供がいなくなったら」と、よく考えるようになりました。
もし自分だったら・・・私はどうなるのかなって。
人に弱いところを見せられないタイプなので、通夜・葬儀は気丈に振舞うタイプだと思います。
ただ・・・心の中は・・・深い深い所へ沈んでいってしまう・・・深い所から這い上がってこれるのかしら・・・
1人の時間に泣いて泣いて泣き続け、人前では普段と同じに振舞う。
亡くなった子供と同じくらいの子供を見る度、醜いほどのどす黒い気持ちになる。
「来てくれてありがとう」なんて気持ちには絶対にならない。
なんで○○ちゃんじゃないの?何故○○くんはここにいるの?どうして・・・どうして・・・
救ってやれなかった自分を責めて、かわってあげれなかった自分を責めて、自分だけ生きてることの罪悪感。
考えただけで、想像しただけで辛いね。
まとまりなく書いてしまいました。
書いていて、自分が何をいいたいのか分からなくなってしまいました。
ごめんなさいね。
ただ、子供達には自分より一分でも一秒でもいいから長生きして欲しい、自分よりほんの少しでいいから、幸せな人生を歩んで欲しい・・・母の願いです。
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 06/05/11
TITLE: ありがとう。
☆nonobuさん
重すぎる記事に、毎回温かいコメントを、ありがとうございます。
自分の事のように、考えて下さったnonobuさんは、本当に心の温かい、優しい方だと、
胸がいっぱいになりました。
ワタシは、ここへnonobuさんが書いてくれた、全く、その通りになりました。
でも、こうして、誰かが…経験は無くとも、その事について考えてくれるのは、
とてもありがたいことだと、思います。
ワタシの心配までしてくれるnonobuさん、本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
CommentData » Posted by DASHわんわん at 07/02/22
葬儀の後から読む事になりましたが彼女が辛くなるであろう事に触らずに居られたことで少しほっとしました。兄が亡くなった時の母の強烈な記憶があるせいでしょうか。「家に帰ると元気のはみだした子供が待っている私には所詮彼女の力にはなれない・・・」そんな無力感が先に立ちます。
「覚えといたげてな。お願いな。」その言葉だけ今は守って行こうと思います。彼女には後ふたり同い年の元気な兄妹を育てていく慌しい日常が待っています。「あと2人いるしね〜」そんな立ち話も漏れ聞こえた葬儀の後。
いつか彼女にマムさんの元を訪れてほしいと願うわたしでした。
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 07/02/23
☆DASHわんわんさん
ねぇ、わんわんさん…。
本当に残酷なようだけど、経験してきたモノの感想として、他の人にできる事なんて、何もないんじゃないかと思うのです。
結局は、彼女自身の想いにピッタリくる事なんて、できないんじゃないかな。
そして、彼女自身も、自分の力で(亡くなった子の分まで)生きていくことを、自覚して行かなくてはならないのよね、いつかは…。
どんなこともそうだけど、最後には自分自身の力で乗り越えるしか、ないと思っています。
ま、コレは、わんわんさんも気がついていると思うんですけど。
でもね、ひとつだけできることがあるとすれば、彼女が必要としたときだけ…そういう時だけ、さりげなく力を貸してあげることなのかな…と思います。
後は、苦しいけれど、じっと見守ってあげるしかないのかも知れない。
ワタシは、そういう人に出会えました。(ダディですが)
でも、そういう人に出会えない人の方が多いと思うんです。
もちろん、夫婦であっても、お互いの想いが違うこともあるしね。
だから、わんわんさんが、彼女にとって、そういう存在になってあげられたら、いいなぁ…と思います。
そしてワタシも、ココへくる誰かのそういう存在でありたいと思います。
もし、よかったら、「何もできないけど、あなたが必要な時は、いつでも待ってるから。」と言ってあげて下さい。
いつか、彼女にわんわんさんが必要になるときが、くるかもしれませんから。
このあたりにも、関連記事をかいています。
http://kyougan.com/blog_k/2006/05/post_188.html
http://kyougan.com/blog_k/2006/05/post_187.html
ほかにも、ちょこちょこと書いてるんだけど、まとまってなくて…。
いずれは、ココへたどり着く誰かの助けになるよう、記事の整理をしていくつもりです。
ところで、わんわんさんの方は、元気ですか?
確定申告とかに追われてる? お子さんやご主人もお元気?
記事に関係なくても、書き込んでね…てな、VIP待遇で待ってます。
繋がりを信じて…。
ではまた…。