挨拶って… Category: カタル…
Posted at 06/04/15 PermaLink» Comment(9)» Trackback(0)»
ウチの小学校では、毎学期の初めに、“あいさつ運動”をしている。
朝、親が自宅の近くに出て、15分程度、挨拶をしましょう…と言うのだ。
なかなか、良い試みだとは、思っている。
…のだが、最近は、お母さん自身が、挨拶が出来ない方がいる。
私が子供の頃は、人に出会ったら、挨拶をするよう、躾けられてきた。
知っているとか、知らないとか、そういうことを考えたこともなかった。
それは、母がそうしていたからかもしれない。
だから、「人にあったら、挨拶をする」というのは、自然に身についている。
ところが、最近のお母さんは違う。
朝、すれ違っても、挨拶をしない人…がいる。
出来るだけ、気づかないフリをする人…が居る。
他に人が居る時はするが、個々に会うときはしない…てな人もいる。
そして、最近増えているのは、“親しい人だけに挨拶をする”人たちだ。
たとえば公園で、小さい子供を遊ばせているお母さんたち。
いつも一緒になる、親しい人には、挨拶をするが、あまり見かけない
親子には、知らんぷりをしている。
公園に行ったら、まず「こんにちは。」ではないのか。
知っているとか知らないとかは、関係ないのだ。
何度か挨拶を交わすうちに、会話が出来るようになる。
挨拶は、コミュニケーションの基本なのだ。
こんなだから、公園デビューなんてモノが、新人お母さんを怖がらせる
ってことになるのだ。
学校などで、知り合いが他の人と居る時も、違和感がある。
「こんにちわ。」といっても、隣の人は、黙っている。
会話をしても、しばらく隣で、黙っている。
「あ、ごめんなさいね、じゃ、また。」といっても、黙って立ち去るか、
チョット、頭を下げる程度。
歩き出してすぐ、「誰?」などと話すのが聞こえたりする。
もし、ワタシが反対の立場だったら、最初に「こんにちわ。」と言って
はずすと思うけど。
実は、小学校のPTA執行部役員の中に、不思議クンの病気の“原因ママ”が
2人もいる…それも、結構なポジションにいらっしゃる方である。
あいさつ運動の時には、校門の前で、誰よりもにこやかに挨拶している方である。
思えば、この方達との関係が崩れたのは、まさに、この挨拶からだった。
それまで、かなり親しかった彼女達が、ある日、挨拶も会話もしなくなった。
最初は、ワタシの勘違いであろうと、思っていた。
ところが、次第に、そうでないことが分ってきた。
こうして、我が家の辛い時期が始まる。
その時に、私たち夫婦が決めた事がある。
「相手がしようと、すまいと、私たちは普通に挨拶をする。」
この事を決めたのは、私たちなりの理由がある。
まず、自分達には、そうされる事の決定的な理由を見つけられなかったし、
彼女達から言われることも、なかった。
だから、コチラから、媚びる事もなかったが、同等に成り下がるつもりもなく、
後で後悔もしたくなかった。
当初は、不思議クンの感受性が、こんなに進んでいるとは知らなかったので、
子供に不穏な空気を読ませまいという、親の配慮もあった。
だから、ワタシは、毎日、普通に挨拶した。
たとえ、相手から、返って来なくても。
「挨拶は、誰のためでもなく、自分のためにするもの」
これは、後に子供に想いを伝えた時の、強妻頑母の言葉である。
挨拶は、ただ挨拶であって、それ以上でもそれ以下でもない。
ワタシにとって、挨拶は、人に会えば、無条件に無意識に発する言葉である。
その習慣を、子供達にも身に着けて欲しいと、願っている。
だが、子供たちはなかなかできなかった。
不幸な事に、ほんの数人の、極近所にいる心無い大人のために、
3兄弟は、よその大人と言葉を交わす事が、怖くなったのだ。
彼らは、せっかく始めていた挨拶を身につけることが出来なかった。
そのことは、強制もできなかった。
それに、相手がしないのだから、説得力もない。
だが、ワタシは諦めたくなくて、ワタシなりの挨拶の姿を見せてきた。
最近になってやっと、3兄弟も、自然に挨拶できる回数が増えてきた。
だが、我が家の挨拶の躾けは、未完成である。
合格点の挨拶には、まだ程遠い。
声を…言葉を発するだけでは、挨拶ではないのだ。
挨拶は、相手があることが大前提だから、相手を見て、相手に聞こえる声で、
笑顔で気持ちよく、するべきである。
そして、敬語の扱いは別として、相手や場所によって、やり方を変える
べきではないのだ。
さて、この小学校のあいさつ運動で、気づいたことがある。
ワタシは、登校する子供達ひとりひとりに、笑顔で声をかけることにしているが、
子供の方は、同じように返す子、恥ずかしそうにする子、無表情でしていく子、
頭だけ下げていく子、言葉が途中で消えていく子、そして全くしない子
…と、さまざまである。
実は、この挨拶には“ある法則”がある。
子供の挨拶のパターンは、母親の挨拶そのものなのだ。
子供たちは、お母さんがしている事を、無意識に見ている。
そして、かなりの力をもって、吸収している。
特に、幼児期に関しては、母親との世界が、子供達のほとんどを占めるため、
この傾向が、強いように思う。
そして、この時期に吸収したことが、子供達の人格の核となるわけだ。
「親子だから、似てるよね。」はまさに、ここから来るのだ。
だが、それゆえに、怖いこともある。
子供達には、まだ善悪の判断がつかないので、“ダイスキなお母さん”が
することの全ては“いい事”として、吸収される場合が多いのだ。
大人が日常的にやっている、「要領よく」とか、「臨機応変」とか、
そういうことも、こどもたちには、分るハズもない。
とにかく、見たそのままが、彼らの人格の基本として、積み重ねられていくのだ。
だから、挨拶にしても、疑いなく“ママパターン”を受け継いでいくのだ。
そして、“上手にできる子”の家の挨拶が、必ずしも良くできている
かといえば、意外と、そうではないのだ。
挨拶のきちんとできている子の場合は、2つのパターンがある。
ひとつは、実際に、きちんと挨拶を躾けられている家の子だ。
もうひとつは、最初に書いた、“親しい人には挨拶をする”家庭の子供。
あいさつ運動の場合は、親しい訳ではないかもしれないが、
つまり、こういううちの子は、挨拶しなければいけないところでは、
きちんとできるのだ。
よく、「ウチの方は、そんなことないわよ〜。」と言われる方がいる。
だがきっと、そういう方は、自分の周りの人に恵まれているのだろ。
このことは、強妻頑母が、ここ20年、ずっと思ってきたことである。
その間、地域も環境も違う5箇所で暮らしたが、どこも、こんな感じだった。
挨拶は、敬語と同様に、この国の中で、確実にレベルが下がっていると思う。
ここで、ひとつ、笑い話のような事例を紹介しよう。
近状のMさんは、“原因ママ”の一人である。
ご主人は、子供の憧れの職業に就いていらして、金銭的にも裕福なお宅。
彼女も、一応、“お上品な奥様”を演じていらっしゃる。
が、実際はいろいろな面を持っていらっしゃる。
彼女もまた、“親しい人にしか、挨拶をしない”方である。
だから、普段は、ワタシとは、ほとんど挨拶をしない。
ある日、学校の前でお互い子連れで、出会った時のことだ。
「おはようございます。」
「おはよう。」
私たち親子は言ったが、彼女は不意をつかれたのか、会釈しただけだった。
それでバツが悪くなったのか、子供に言った。
「○○ちゃん、不思議クンが、おはようと言ってるでしょ。
もう、すみません、この子ったら…。」そういって、2人は歩いていった。
不思議クンが、ボソッといった。
「おはよう、言わなかったね…おばちゃんも。」ワタシはおかしくて、大笑いした。
「うん、言わなかったねぇ。」
「でも、○○ちゃん、怒られたよねぇ。」
「うん、怒られたねぇ。」
本当は、子供を叱る前に、彼女自身が「おはようございます。」と
言うべきだったのではないだろうか。
彼女は、ワタシのことが“親しい”という認識が無い。
いや…普段はワタシを敵視しているのだ。
だが、会ったときの状況を判断し、とっさに会釈したのだろう。
会釈で挨拶が終わったと、思ったのかもしれない。
ところが、子供はそうはいかなかった。
いつも、お母さんが、敵視していることも気づいている子供は、
この時に限って、挨拶をするという事など、不可能だったのだ。
だから、いつも通り、知らんぷりして歩いた。
だから、母親は焦ったのだ。
もし、この時、母親が普通に「おはようございます。」と言っていたらどうだろう。
子供も、ほとんど無意識に「おはよう。」と言えたかもしれない。
もっと言えば、母親がいつも普通に挨拶する人ならば、子供から
「おはよう」と言ったかも知れない。
たとえ、そのお母さんが、少しばかりお美しくても、
空飛ぶ乗り物を操るご主人と、暮らしていらっしゃっても、
どんなにお金があり、子供達にあらゆる教育をさせていようもと、
自宅や、身の回りにお金をかけて、飾り立てていようとも…
ワタシには、ちっとも素敵には見えない。
人は、外見だけでは判断できない。
彼女の生活に憧れている人も沢山いるが、ワタシはちっとも、
羨ましくなんかない。
(挨拶もできないで、何が奥様よ。お粗末な…。)
挨拶なんて、考えてするものではないのだ。
子供がきちんと挨拶できるかどうかは、そういう家庭であるかどうか
と言うことである。
本当は…地域をあげて、“あいさつ運動”をしなければならないということが、
既に、問題なのかも知れない。
最後に、強妻頑母が3兄弟に教えたい挨拶の条件を。
1.挨拶は自分のために。
2.場所や人を選ばず。
3.相手の顔を見て。
4.相手に聞こえるように。
5.さらっと笑顔で。
そして、何より大切なのは、これを自分から無意識にできること。
ただ…最近は、子供を取り巻く状況も、変ってきているので、知らない人に
…って言うのは、なかなか難しい。
でも、子供が分らなくても、よく知っている人だったりもするんだよね…。
3兄弟の点数は、まだまだ、40点くらいかしら。
そして、我が家の“挨拶訓練”は続く。
あなたの挨拶は、何点ですか?→
朝、親が自宅の近くに出て、15分程度、挨拶をしましょう…と言うのだ。
なかなか、良い試みだとは、思っている。
…のだが、最近は、お母さん自身が、挨拶が出来ない方がいる。
私が子供の頃は、人に出会ったら、挨拶をするよう、躾けられてきた。
知っているとか、知らないとか、そういうことを考えたこともなかった。
それは、母がそうしていたからかもしれない。
だから、「人にあったら、挨拶をする」というのは、自然に身についている。
ところが、最近のお母さんは違う。
朝、すれ違っても、挨拶をしない人…がいる。
出来るだけ、気づかないフリをする人…が居る。
他に人が居る時はするが、個々に会うときはしない…てな人もいる。
そして、最近増えているのは、“親しい人だけに挨拶をする”人たちだ。
たとえば公園で、小さい子供を遊ばせているお母さんたち。
いつも一緒になる、親しい人には、挨拶をするが、あまり見かけない
親子には、知らんぷりをしている。
公園に行ったら、まず「こんにちは。」ではないのか。
知っているとか知らないとかは、関係ないのだ。
何度か挨拶を交わすうちに、会話が出来るようになる。
挨拶は、コミュニケーションの基本なのだ。
こんなだから、公園デビューなんてモノが、新人お母さんを怖がらせる
ってことになるのだ。
学校などで、知り合いが他の人と居る時も、違和感がある。
「こんにちわ。」といっても、隣の人は、黙っている。
会話をしても、しばらく隣で、黙っている。
「あ、ごめんなさいね、じゃ、また。」といっても、黙って立ち去るか、
チョット、頭を下げる程度。
歩き出してすぐ、「誰?」などと話すのが聞こえたりする。
もし、ワタシが反対の立場だったら、最初に「こんにちわ。」と言って
はずすと思うけど。
実は、小学校のPTA執行部役員の中に、不思議クンの病気の“原因ママ”が
2人もいる…それも、結構なポジションにいらっしゃる方である。
あいさつ運動の時には、校門の前で、誰よりもにこやかに挨拶している方である。
思えば、この方達との関係が崩れたのは、まさに、この挨拶からだった。
それまで、かなり親しかった彼女達が、ある日、挨拶も会話もしなくなった。
最初は、ワタシの勘違いであろうと、思っていた。
ところが、次第に、そうでないことが分ってきた。
こうして、我が家の辛い時期が始まる。
その時に、私たち夫婦が決めた事がある。
「相手がしようと、すまいと、私たちは普通に挨拶をする。」
この事を決めたのは、私たちなりの理由がある。
まず、自分達には、そうされる事の決定的な理由を見つけられなかったし、
彼女達から言われることも、なかった。
だから、コチラから、媚びる事もなかったが、同等に成り下がるつもりもなく、
後で後悔もしたくなかった。
当初は、不思議クンの感受性が、こんなに進んでいるとは知らなかったので、
子供に不穏な空気を読ませまいという、親の配慮もあった。
だから、ワタシは、毎日、普通に挨拶した。
たとえ、相手から、返って来なくても。
「挨拶は、誰のためでもなく、自分のためにするもの」
これは、後に子供に想いを伝えた時の、強妻頑母の言葉である。
挨拶は、ただ挨拶であって、それ以上でもそれ以下でもない。
ワタシにとって、挨拶は、人に会えば、無条件に無意識に発する言葉である。
その習慣を、子供達にも身に着けて欲しいと、願っている。
だが、子供たちはなかなかできなかった。
不幸な事に、ほんの数人の、極近所にいる心無い大人のために、
3兄弟は、よその大人と言葉を交わす事が、怖くなったのだ。
彼らは、せっかく始めていた挨拶を身につけることが出来なかった。
そのことは、強制もできなかった。
それに、相手がしないのだから、説得力もない。
だが、ワタシは諦めたくなくて、ワタシなりの挨拶の姿を見せてきた。
最近になってやっと、3兄弟も、自然に挨拶できる回数が増えてきた。
だが、我が家の挨拶の躾けは、未完成である。
合格点の挨拶には、まだ程遠い。
声を…言葉を発するだけでは、挨拶ではないのだ。
挨拶は、相手があることが大前提だから、相手を見て、相手に聞こえる声で、
笑顔で気持ちよく、するべきである。
そして、敬語の扱いは別として、相手や場所によって、やり方を変える
べきではないのだ。
さて、この小学校のあいさつ運動で、気づいたことがある。
ワタシは、登校する子供達ひとりひとりに、笑顔で声をかけることにしているが、
子供の方は、同じように返す子、恥ずかしそうにする子、無表情でしていく子、
頭だけ下げていく子、言葉が途中で消えていく子、そして全くしない子
…と、さまざまである。
実は、この挨拶には“ある法則”がある。
子供の挨拶のパターンは、母親の挨拶そのものなのだ。
子供たちは、お母さんがしている事を、無意識に見ている。
そして、かなりの力をもって、吸収している。
特に、幼児期に関しては、母親との世界が、子供達のほとんどを占めるため、
この傾向が、強いように思う。
そして、この時期に吸収したことが、子供達の人格の核となるわけだ。
「親子だから、似てるよね。」はまさに、ここから来るのだ。
だが、それゆえに、怖いこともある。
子供達には、まだ善悪の判断がつかないので、“ダイスキなお母さん”が
することの全ては“いい事”として、吸収される場合が多いのだ。
大人が日常的にやっている、「要領よく」とか、「臨機応変」とか、
そういうことも、こどもたちには、分るハズもない。
とにかく、見たそのままが、彼らの人格の基本として、積み重ねられていくのだ。
だから、挨拶にしても、疑いなく“ママパターン”を受け継いでいくのだ。
そして、“上手にできる子”の家の挨拶が、必ずしも良くできている
かといえば、意外と、そうではないのだ。
挨拶のきちんとできている子の場合は、2つのパターンがある。
ひとつは、実際に、きちんと挨拶を躾けられている家の子だ。
もうひとつは、最初に書いた、“親しい人には挨拶をする”家庭の子供。
あいさつ運動の場合は、親しい訳ではないかもしれないが、
つまり、こういううちの子は、挨拶しなければいけないところでは、
きちんとできるのだ。
よく、「ウチの方は、そんなことないわよ〜。」と言われる方がいる。
だがきっと、そういう方は、自分の周りの人に恵まれているのだろ。
このことは、強妻頑母が、ここ20年、ずっと思ってきたことである。
その間、地域も環境も違う5箇所で暮らしたが、どこも、こんな感じだった。
挨拶は、敬語と同様に、この国の中で、確実にレベルが下がっていると思う。
ここで、ひとつ、笑い話のような事例を紹介しよう。
近状のMさんは、“原因ママ”の一人である。
ご主人は、子供の憧れの職業に就いていらして、金銭的にも裕福なお宅。
彼女も、一応、“お上品な奥様”を演じていらっしゃる。
が、実際はいろいろな面を持っていらっしゃる。
彼女もまた、“親しい人にしか、挨拶をしない”方である。
だから、普段は、ワタシとは、ほとんど挨拶をしない。
ある日、学校の前でお互い子連れで、出会った時のことだ。
「おはようございます。」
「おはよう。」
私たち親子は言ったが、彼女は不意をつかれたのか、会釈しただけだった。
それでバツが悪くなったのか、子供に言った。
「○○ちゃん、不思議クンが、おはようと言ってるでしょ。
もう、すみません、この子ったら…。」そういって、2人は歩いていった。
不思議クンが、ボソッといった。
「おはよう、言わなかったね…おばちゃんも。」ワタシはおかしくて、大笑いした。
「うん、言わなかったねぇ。」
「でも、○○ちゃん、怒られたよねぇ。」
「うん、怒られたねぇ。」
本当は、子供を叱る前に、彼女自身が「おはようございます。」と
言うべきだったのではないだろうか。
彼女は、ワタシのことが“親しい”という認識が無い。
いや…普段はワタシを敵視しているのだ。
だが、会ったときの状況を判断し、とっさに会釈したのだろう。
会釈で挨拶が終わったと、思ったのかもしれない。
ところが、子供はそうはいかなかった。
いつも、お母さんが、敵視していることも気づいている子供は、
この時に限って、挨拶をするという事など、不可能だったのだ。
だから、いつも通り、知らんぷりして歩いた。
だから、母親は焦ったのだ。
もし、この時、母親が普通に「おはようございます。」と言っていたらどうだろう。
子供も、ほとんど無意識に「おはよう。」と言えたかもしれない。
もっと言えば、母親がいつも普通に挨拶する人ならば、子供から
「おはよう」と言ったかも知れない。
たとえ、そのお母さんが、少しばかりお美しくても、
空飛ぶ乗り物を操るご主人と、暮らしていらっしゃっても、
どんなにお金があり、子供達にあらゆる教育をさせていようもと、
自宅や、身の回りにお金をかけて、飾り立てていようとも…
ワタシには、ちっとも素敵には見えない。
人は、外見だけでは判断できない。
彼女の生活に憧れている人も沢山いるが、ワタシはちっとも、
羨ましくなんかない。
(挨拶もできないで、何が奥様よ。お粗末な…。)
挨拶なんて、考えてするものではないのだ。
子供がきちんと挨拶できるかどうかは、そういう家庭であるかどうか
と言うことである。
本当は…地域をあげて、“あいさつ運動”をしなければならないということが、
既に、問題なのかも知れない。
最後に、強妻頑母が3兄弟に教えたい挨拶の条件を。
1.挨拶は自分のために。
2.場所や人を選ばず。
3.相手の顔を見て。
4.相手に聞こえるように。
5.さらっと笑顔で。
そして、何より大切なのは、これを自分から無意識にできること。
ただ…最近は、子供を取り巻く状況も、変ってきているので、知らない人に
…って言うのは、なかなか難しい。
でも、子供が分らなくても、よく知っている人だったりもするんだよね…。
3兄弟の点数は、まだまだ、40点くらいかしら。
そして、我が家の“挨拶訓練”は続く。
あなたの挨拶は、何点ですか?→

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"挨拶って…"へのコメント
CommentData » Posted by SNAFKINわたこ at 06/04/16
TITLE: 挨拶は生活の基本です
私は、挨拶は生活の基本であると考えています。 そして、コミュニケーションをとる最小で最大の手段だとも思います。
私自身結構な田舎で育ちましたので、家の一歩外に出れば会う人皆知り合い、と言った状況にありました。 「知らない人だと思っても実はご近所かもしれない、私が知らなくても相手は私を知っている可能性がある。 だから、同じ町内では必ず挨拶をしなさい。」と、母に言われ続けて育ちました。 その母も、地域で暮らす常識として、また、嫁ぎ先での心得として、自分の実母にそう言われ続けたのだそうです。
マムさんのおっしゃる通り、『挨拶にしても、疑いなく“ママパターン”を受け継いでいくのだ』が成り立つのだと思います。 そして私の子供達も物心つく前からずーっとそうして大きくなっています。 ただ最近、ご近所のいくら挨拶しても挨拶が返ってこないお家に対し、周りの人誰もが挨拶をしなくなった中(私もなのですが)、うちの子供達だけが挨拶を続けています。 子供達にその理由を聞くと「ここまで来て挨拶を止めるのは勝負に負ける」なんだとか・・・。 ちょっと挨拶の趣旨から外れていますが、何回かに1回は挨拶が返ってくるようになったそうです。
挨拶は生活の基本と言う点では、その相手が家族から始まるという考えでいます。 家庭の中で挨拶をしなくて、どうして外で挨拶が出来るようになるのでしょう。 我が家では、夫婦喧嘩・親子喧嘩をしていても挨拶だけは必ずするという暗黙のルールがあります。 結婚当初、喧嘩をしても知らん顔をしていましたが、会話のきっかけが見つかりません。 挨拶をするとお互いなんとなく会話が始まります。 そうして、喧嘩の最中でも挨拶をしないと、母の足が飛ぶというルールが出来上がって行きました。(笑)
この挨拶考、私も年度末に、息子の担任の先生からの問いかけに考えることがありまして記事としてupしたことがあります。
「相手がしようと、すまいと、私たちは普通に挨拶をする。」 「挨拶は、誰のためでもなく、自分のためにするもの」 と言うマムさんの考えを今一度私も考えて見ようと思います。
CommentData » Posted by ノア at 06/04/16
TITLE:
う〜ん、わたしも似たようなことがありますよ。
書けば長くなるから省くけど、以前に親しくしていた人だとなおさら傷つきますよね。
その方もやはり執行部にいらっしゃいました。
中学でも早々と執行部に入られてましたね。
挨拶は、「心を開いて相手にせまる」
という意味なのだそうです。
親しくなる第一歩ですよね。
でも相手に気がつかないときもありますよね。
わたしは、「気づいてなかったら後ろからたたいていいから」
と言ってあります。
無視したと思われるのもいやなので(笑
自分の発した言葉は、10割がた自分に返ってくるという話をきいたことがあります。
わたしは挨拶のおかげで知り合いが増えましたよ!
CommentData » Posted by すきやき at 06/04/16
TITLE:
うぅ〜〜ん、難しい問題だね。
我が家では、挨拶は、相手に聞こえなければしなかったのと同じだよ!と言って教えてたけれど、挨拶しても返ってこないと、段々できなくなると言ってました。
挨拶・・・大事だと考えていない人が多いのではないでしょうか?
私もずいぶん嫌な思いをしましたが、そういう人に限って、表面的には良い人を装ってますよね。
裏表のある人って、多いです。
そういう人、嫌いです。付き合いたくないですね。
CommentData » Posted by ranrunrin at 06/04/16
TITLE:
あぁー。じっくりじっくり読んでしまいました。
というのも、うちの子供たちの挨拶点数は10点にもなっていないから。顔見知りの人に挨拶されても、5歳の長女、返せないことが多くて!
「挨拶は自然にするもの」
私自身は、そのように身についているつもりでいたのですが、それが子供に伝わっていないということは、きっと私の挨拶、何かが足りないってことなんでしょうね。
簡単なのに、難しい。
考えさせられました。。。
明日から、初心に戻ったキモチで挨拶してみます〜。
CommentData » Posted by jun at 06/04/17
TITLE: そうですよね
こんにちは。
ブログを拝見していても、いつも考えてしまって、考えすぎてコメントできずにいます(笑)。でもコメントしにきました。
そうですよね、ほんと。
習い事とかお友達の集まりなら、同志というかんじで必ず挨拶をします。挨拶は親からまず…。ですよね。
でも、学校や幼稚園というのは、いろいろな人がいて…。仕方なく通わせている人、体面で通わせている人、単に子どもがうっとおしいから預けている人…とかもいたりして…。
子どもが幼稚園に入って、最初の担任の先生が新人のギャルで、子どもをにらみつけて挨拶を強要してたんですよね。母親なんかには目も合わさない。そういうことする前に、まず先生は母親に笑顔で挨拶すればいいことなのに、いやそうするべきなのに。
で、いろいろあって、挨拶についても考えちゃいました。日ごろ、よく考えます。
ちょっと見方を変えると、やけに笑顔で「こんにちはー」と言ってくる人は特殊な宗教の勧誘だったり、ネズミ講みたいなのをやっている人だったり、とかってのは、東京では結構よくあったりして、とりあえず挨拶に警戒しちゃうのはあるかもしれないなって思ったりもしました。
特に女の子のおかあさんだと、身を守るために、知らない人には近づかないとか「こんにちは」と声をかけられても答えないとか…そんなのもあるかなと。
とかとかおねおねと考えるわけですが、誰にでも挨拶をする息子が横にいたりして、どこに行っても誰もがお友達、誰にでもご挨拶という息子がいたりして、そうなると、親が挨拶をいちいち重ねてするのもちょっとしつこいかなと、母の挨拶は黙っていたりして…。
で、挨拶する相手を見定めてから挨拶したりしなかったりという人は、いますよね。お仲間どうしでしか交流しない人もいますし。
でも、親は社交辞令程度のおつきあいをして、あとは子どもどうしのことは子どもにまかせて(様子は見ながら聞きながら)、というかんじにやっていたり…。
やっぱり、ちょっとした挨拶ひとつでも、結構考えちゃったりするとき、ありますよね。
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 06/04/17
TITLE:
☆SNAFKINわたこ さん
ワタシが、返ってこない相手に、どうしてもやめなかったのは…。
止めてしまうと、私も、相手に対する想いに、歯止めが利かなくなると思ったのです。
実は、この挨拶を続ける事、当初、いろいろなところで相談しましたが、どの先生も、
賛成して下さって、決行いたしました。
結果的には、後に、大きく流れを変えることになるわけなんですけどね。
そぅ、そぅ…喧嘩の後の挨拶…良いですよね。
挨拶は、会話のキッカケになるんですよね。
☆ノアさん
ノアさんもあるの〜? チョット意外でした。
そう、挨拶は“キッカケ”になるんですよね。
でも、そんな事より、何より、しなくちゃ気持ち悪くない??
でも、世の中、いろんな人がいるんですよねぇ…時代の移り変わりなのかな?
☆すきやきさん
確かに、返ってこないとしにくくなりますね。
あんまりすると、迷惑がられたり…。
ワタシは、そういう時は、距離とお互いの立ち位置で、判断しています。
やっぱり、何度かに一回はしますよ。
☆ranrunrin さん
時期や、お子さんの性格もあると思います。
お母さんが、自然にしていると言う事は、お子さんの中に、蓄積されているでしょうから。
挨拶に対して、自然に接しているか、それとも、挨拶は、頑張らないとできないのか…
そういうことが、ママから貰うことだと思うんですよ。
大丈夫、今に、ちゃんとしてくれますよ。
☆junさん
コメント、気軽にしてくださいね。
タダ、その時思ったことを、書き連ねているだけですし、噛みついたりしませんから。(笑)
おっしゃる事は、よく分ります。
ワタシも、知らない人の気持ち悪いくらい愛想の良い挨拶は、警戒しますよ。
それから、子供がしても、やはり重ねてしていますねぇ、それぞれの挨拶って事で。
ワタシにとって、挨拶は、ほんの最初のキッカケであって、「挨拶程度の知り合い」
止まりの人の方が多いかも知れませんね。
ここから、じっくり相手を見ていく…そんな感じでしょうか。
今日の記事は、主に、同じ地域内とかを、思い浮かべて書きましたが、確かに、最近の
子供達をとりまく環境の悪化を考えると、「挨拶をしない方が良い時」も、ありますね。
コメントいただいて、少し記事に追記修正させていただきました。 ありがとうございます。
これからも、また、コメントして下さいね、噛みつきませんから。(←シツコイッ!)
CommentData » Posted by まる at 06/04/17
TITLE:
今ずっとコメントを書いては消し、書いては消し・・をした結果、マムさんの記事を引用しつつ私も書かせていただくことにしました。
・・同じ考えや意見をもつ同志としては
記事も重なりますね(笑)。
ポチっとさせていただきます。
CommentData » Posted by ポーちゃん at 06/04/18
TITLE:
挨拶って難しいよねー。
私はなるべく知ってる人にあったらしようと心がけてるけれど、こっちが挨拶しないと無視して通り過ぎる人もいるしね。
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 06/04/19
TITLE:
☆まるさん
引用していただき、ありがとうございます。
記事が重なっても、全然OKですよね。
いろんな方の意見が、興味深いです。
☆ポーちゃん
挨拶って、しないで通り過ぎると、気持ち悪いですよね。
ワタシは、嫌だなぁ。