子育て世紀末 〜自由と責任〜 Category: カタル…
Posted at 06/04/30 PermaLink» Comment(5)» Trackback(1)»
この国は、ホンの60年前まで、戦っていた。
その頃の若者には、“選択肢”は、ほとんどなかった。
時は過ぎ、私たちの親達が成人する頃には、学問、仕事、恋愛…
あらゆる事に関して、多くの選択肢が与えられるようになったのだ。
また、核家族化が進み、共働きも増えた。
それに伴って、少しずつ、育児も変化したという。
私たちの親が、子育てをしていた頃、実は、子育てのパターンが次第に
2つに分かれはじめた…というのだ。
一方は、それまでのこの国のやり方に沿った、厳格な子育て。
もう一方は、新しく、自由な子育てである。
そして、時が経つにつれて、後者が増えてきたという。
戦後、この国が手に入れたもの…。
それまでのこの国で、許されなかったもの…。
それは『自由』である。
自由は、もちろん、素晴らしいものだ。
何かに拘束さる事もなく、意思さえあれば、どんな道に進むことも
許されている。
誰もが、その素晴らしさを実感した事があるだろう。
そして、それは、もちろん誰もが手にすることが出来る、
大切なものである。
だが、その自由の裏側にあるものについて、考えた事があるだろうか。
自由の裏側にあるもの…。
それは、『責任』である。
ホンの数十年前、若者が自由を謳歌していた頃のこの国で、
責任について、“考えた者”と“考えなかった者”。
ココに、『格差』が生まれたという。
そして、“考えた者”と“考えなかった者”それぞれの子育てにも、当然、
『格差』が生まれたのだ。
こうして生まれた、『格差』は、そのほかの条件…
金銭問題や、さまざまな環境…を伴って、どんどん広がっていった。
私達は、その時代の子供世代、そして子供たちは、孫世代である。
数十年前に生まれた『格差』は、さらに細分化され、
また、さまざまに変化した。
つまり、現在の子育ては、まさに『自由な子育て』なのだ。
そして…。
悲しいかな、この国にあった素晴らしいものは、次第に薄れてきた。
年長者を敬う気持ち、厳格、我慢、質素…そういったものである。
「今はもう、子育てに関しては、世紀末の状態だと言えます。」
こういった先生の言葉には、とても悲しい響きがあった。
子供を救おうとする、そういう立場に居る方だからこその、言葉である。
今さら、現代の若者を議論し、批判しても、何も解決しないのかもしれない。
この子達を育てたのは、大人達である。
さらに言えば、その大人を作ったのは、またその親達なのだ。
実は、『自由』ばかりの社会というのは、意外と大変である。
ある程度『規約』や『制約』があるほうが、楽な事もある。
だが、実際には、この『規約』や『制約』の解釈も自由にされ、
“守る人”と“守らない人”に、また、『格差』が生まれる。
「ワタシは大丈夫…。」
きっと、みんな思っている。
だけど、本当にそうだろうか。
「このくらい、みんな、してるから。」
「こんな事、守ってる人なんていないわ。」
「このくらい、常識よ。」
そう思って、何かを間違えている事はありませんか?
「あのひと、堅いのよ。」
「あの人、古いのよ。」
「あの人、変わってるわよね。」
そう思って、何かを間違えている事はありませんか?
こうして、勘違いしたまま、何か問題が起きた時、
「みんなが、そうしたから、私も…。」
「いつも、こうしてるから。」
「だって、○○さんが、そう言ったから。」
なんてことはありませんか?
そこに、『責任』はありますか?
職場、自治会、学校、幼稚園などのルール、運転ルール、人間関係、
金銭感覚、恋愛、結婚、出産、離婚、子育て…あらゆるところでの
自由な選択、自由な行動。
その裏には、必ず責任を伴うことを理解している人が、いったい
どの程度いるのだろう。
最初は、ホンの些細な間違いであっても、時間が経つにつれ、だんだん
当たり前になっていく。
いつのまにか、日々の生活の中で、“間違っていない”ことになる。
そして、子供たちは、そういう家庭の中で、日々、育っていくのだ。
私たち、1人1人が、今一度、自分達の行動を、考えてみたい。
この国の将来のために…私たちの子供達のために。
自由の裏側に、責任があることに気づかなければ、
反省もまた、生まれないのではないだろうか。
いつも、「カタスギル…」といわれる、強妻頑母です。→
その頃の若者には、“選択肢”は、ほとんどなかった。
時は過ぎ、私たちの親達が成人する頃には、学問、仕事、恋愛…
あらゆる事に関して、多くの選択肢が与えられるようになったのだ。
また、核家族化が進み、共働きも増えた。
それに伴って、少しずつ、育児も変化したという。
私たちの親が、子育てをしていた頃、実は、子育てのパターンが次第に
2つに分かれはじめた…というのだ。
一方は、それまでのこの国のやり方に沿った、厳格な子育て。
もう一方は、新しく、自由な子育てである。
そして、時が経つにつれて、後者が増えてきたという。
戦後、この国が手に入れたもの…。
それまでのこの国で、許されなかったもの…。
それは『自由』である。
自由は、もちろん、素晴らしいものだ。
何かに拘束さる事もなく、意思さえあれば、どんな道に進むことも
許されている。
誰もが、その素晴らしさを実感した事があるだろう。
そして、それは、もちろん誰もが手にすることが出来る、
大切なものである。
だが、その自由の裏側にあるものについて、考えた事があるだろうか。
自由の裏側にあるもの…。
それは、『責任』である。
ホンの数十年前、若者が自由を謳歌していた頃のこの国で、
責任について、“考えた者”と“考えなかった者”。
ココに、『格差』が生まれたという。
そして、“考えた者”と“考えなかった者”それぞれの子育てにも、当然、
『格差』が生まれたのだ。
こうして生まれた、『格差』は、そのほかの条件…
金銭問題や、さまざまな環境…を伴って、どんどん広がっていった。
私達は、その時代の子供世代、そして子供たちは、孫世代である。
数十年前に生まれた『格差』は、さらに細分化され、
また、さまざまに変化した。
つまり、現在の子育ては、まさに『自由な子育て』なのだ。
そして…。
悲しいかな、この国にあった素晴らしいものは、次第に薄れてきた。
年長者を敬う気持ち、厳格、我慢、質素…そういったものである。
「今はもう、子育てに関しては、世紀末の状態だと言えます。」
こういった先生の言葉には、とても悲しい響きがあった。
子供を救おうとする、そういう立場に居る方だからこその、言葉である。
今さら、現代の若者を議論し、批判しても、何も解決しないのかもしれない。
この子達を育てたのは、大人達である。
さらに言えば、その大人を作ったのは、またその親達なのだ。
実は、『自由』ばかりの社会というのは、意外と大変である。
ある程度『規約』や『制約』があるほうが、楽な事もある。
だが、実際には、この『規約』や『制約』の解釈も自由にされ、
“守る人”と“守らない人”に、また、『格差』が生まれる。
「ワタシは大丈夫…。」
きっと、みんな思っている。
だけど、本当にそうだろうか。
「このくらい、みんな、してるから。」
「こんな事、守ってる人なんていないわ。」
「このくらい、常識よ。」
そう思って、何かを間違えている事はありませんか?
「あのひと、堅いのよ。」
「あの人、古いのよ。」
「あの人、変わってるわよね。」
そう思って、何かを間違えている事はありませんか?
こうして、勘違いしたまま、何か問題が起きた時、
「みんなが、そうしたから、私も…。」
「いつも、こうしてるから。」
「だって、○○さんが、そう言ったから。」
なんてことはありませんか?
そこに、『責任』はありますか?
職場、自治会、学校、幼稚園などのルール、運転ルール、人間関係、
金銭感覚、恋愛、結婚、出産、離婚、子育て…あらゆるところでの
自由な選択、自由な行動。
その裏には、必ず責任を伴うことを理解している人が、いったい
どの程度いるのだろう。
最初は、ホンの些細な間違いであっても、時間が経つにつれ、だんだん
当たり前になっていく。
いつのまにか、日々の生活の中で、“間違っていない”ことになる。
そして、子供たちは、そういう家庭の中で、日々、育っていくのだ。
私たち、1人1人が、今一度、自分達の行動を、考えてみたい。
この国の将来のために…私たちの子供達のために。
自由の裏側に、責任があることに気づかなければ、
反省もまた、生まれないのではないだろうか。
いつも、「カタスギル…」といわれる、強妻頑母です。→

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from 南西風 at 06/05/01
昔の日本人には、生きる選択肢がほとんどなくて、商人の子は商人に、農家の子は、農家になっていたんだよね。それにはずれようものなら、エラク惨めな目にあうことを覚悟しないとい
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"子育て世紀末 〜自由と責任〜"へのコメント
CommentData » Posted by キララ at 06/05/01
TITLE:
親となってまだ4年弱。
正直何も考えないであたりまえのように
結婚し、子供を生みました。
初めは可愛い可愛いだけだったけれど
だんだんそれだけではいけないと思いはじめました。
そしてマムさんの記事を読むたびに
自分の責任・存在の大きさを考えます。
果たして幼稚園で見るママや
公園で見るママは、そういうこと、気づき、そして考えたりしてるのかな。
なんとなくで群れてみたり、あわせてみたり
な自分にはなりたくないし、なるつもりもありません。
子供にもそういう人間になってほしいと思います。
・・・なんだか的確なコメントではないですね・・・。
CommentData » Posted by 寿司屋のおかみさん小話 at 06/05/01
TITLE: いいえ
かたすぎるなんてことはありませんよ、マムちゃん。マムちゃんの真面目さは、今の日本に必要な部分だと思うのです。甘やかされた日本。物はあってもこころの貧しい日本。
わたしも、その日本に住んでいるんですね・・・。
CommentData » Posted by ノア at 06/05/01
TITLE:
コメント・・・書いているうちにすごく長くなってきたので、自分のブログにアップしました。
トラックバックさせてくださいね。
(わたしにしては長いです^^)
CommentData » Posted by すきやき at 06/05/01
TITLE:
30年も前から
「あのひと、堅いのよ。」
「あの人、古いのよ。」
「あの人、変わってるわよね。」 と言われ続けてきた結果、誰にでも『こんなに良い子は見たことないけど、どうやって育てたの』と言われてます。
マムさん、頑張れ!!!
CommentData » Posted by アンティーク・マム at 06/05/02
TITLE: コメントありがとうございます。
☆キララさん
みんな、自分の事は、見えていないものです。
こういうことを書いているワタシも、同じです。
ただ、こうありたいとか、こうあるべきとか、そういう信念は持っていたいと思います。
子育ては、やり直すことは出来ません。
そして、子育ては母親のためでなく、子供のためにあるものです。
少しでも、お役に立てているなら、嬉しいです。
☆寿司屋のおかみさん
おかみさん、ありがとう!
そう言っていただけると、本当に、心強いです。
チョット、集中して記事をあげてみたくて…。
しばらく、このテーマで、書きたいと思います。
また、感想を聞かせてください。
☆ノアさん
トラックバック、ありがとうございます。
1人ではどうする事も出来ない、現状…。
でも、一人一人が考えなくては、どうにも変らない…そんな世の中です。
母として、何が出来るかを、考えたいのです。
☆すきやきさん
そうですか…とっても励みになります。
ワタシも、このまま頑固に強妻頑母を続けていこうと、思ってるんです。
ま、ウチの場合、良い子かどうかは、わからないんですけどねぇ。